【アデノウイルス恐るべし!】一家を襲った目のパンデミック
30代女性会社員です。夫婦共働きで2児の子どもがいます。子どもは2人共まだ小さく保育園に預けています。
それは、まず下の子から始まった…
昨年の7月の出来事です。一家を目のパンデミックが襲いました。
はじめは、一番下の子でした。ある日保育園に迎えにいくと、担任から「お母さん、すみません~昼寝の後から、左目から目ヤニがでていて~、ちょっとクラスに目薬をしてる子がいるので、気をつけてみていてください~」と言われました。
このとき、正直目薬をささなくてはいけない子と同じ部屋で保育するな、と保育園側にとても腹がたちました。確かに少量でしたがめやにがでており、結膜炎でもうつったのだろうと思っていました。
しかし、次の日の朝にはめやにの量が大量に、瞼は真っ赤でお岩さんのように腫れ上がっていました。すぐに眼科へつれていくと「アデノウイルス感染症による結膜炎」との診断でした。
感染力が強く、涙にウイルスがたくさんいるので、タオルを分けるはもちろん家族注意してくださいと指導を受けました。もちろん保育園も出席停止、私も仕事を休むはめに。眼科は2日に1回の受診です。
まだ言葉を話せない時期でしたので、不快なのか、痛いのか、しんどいのか、わかりませんが、24時間ぐずぐずの状態での看病でした。
パンデミック!一家全員を次々と襲うアデノウイルス
1週間がたったころ、朝起きると。眼が開かない!!どんなに力をいれても眼が開かないのです。人間そんなことないやろと思うでしょうが、本当に開かず、自分の眼がどうにかなってしまっている、何も見えない、という不安と恐怖は忘れられません。
次に私が感染してしまったのです。私の場合は両目でした。経験したことのない、めやにの量、涙がとまらず常に涙目、ひりひりとした痛み、両瞼の腫れの症状がありました。不快であるのはもちろん、発熱はないものの、ひどい倦怠感もありました。
その後、5日後には夫、最後に上の子。と次々と感染し、一家全員がアデノウイルス感染症にかかってしまったのです。
家族4人、外出もできないので引きこもりの生活。感染しないように注意はもちろんしていましたが、はじめが一番のちびだっただけに困難でした。
なぜかと言うと、泣くからです。泣く→抱っこ→両親の肩にすりすり→涙とめやにが付く。夜中→泣く→家族の枕に登る→顔をうつぶせてスリスリ→枕やシーツは涙とめやみまみれ。
無理や~~~~~!!!って感じです。
治りは悪く、治癒までに3週間かかりました。一時期は家族全員2種類の目薬を1日4回。ボードテーブルには家族全員の目薬がずらっと並び、2種類の目薬は時間をあけてしなくてはいけないので、だれが終わって、どれがまだでと、毎日私は目薬の管理に大忙しでした。
そして、もう一つの悪夢がやってきました。
もう踏んだり蹴ったり…私だけ合併症を併発
私以外の3人は順調に回復していったのですが、自分だけ2週間がたったころ合併症を併発したのです。
朝起きると、今度は左眼だけが白いもやがかかったような状態で、メガネをかけても見えないのです。もともと強度近視なので、右目との見え方の違いが明らかで気分が悪くなるほどでした。
眼科へ行くと「合併症ですね、偽膜ができているので、目薬さしても効果がありません、すぐに処置します」と言われベッドに横にされました。
こ、こわすぎる。眼の手術をするのって、景色がみえるのですごく怖いはずという印象でしたが、心の準備もなくその時が急に訪れたです。
麻酔の目薬をされ「はい、眼をしっかりあけて」と眼を開くのは自分の意志でしなくてはいけませんでした。
眼を開くと、真っ白で何も見えませんでした。処置をするためのライトがまぶしすぎて、眼を開いているのに視界は真っ白でした。
その時、なるほど手術をするときもライトの光が強いので何も見えんのかと知りました。
そして、麻酔は絶対きいていないという、激痛。攝子のようなもので、先生が私の眼をガリガリ削るのです。激痛と恐怖で眼なんてあけれません。
しかし「はい、しっかり開けて」と怒られます。看護師さん2名に足を抑えられ、分厚いガーゼと眼帯で保護されなんとか処置は終了。全身汗でびっしょりでした。
そのまま帰宅したのですが、私の眼一体どうなってるのと恐怖で見るのがとても怖かったです。実際は充血ぐらいで何もなっていませんでした。本当にある意味貴重な体験をしました。
その後、合併症を起こした自分が一番治癒までに時間がかかり、完全にコンタクトをしてふつうの生活をするまでに2か月かかりました。
仕事も1ヶ月も休んでしまい、とても迷惑をかけました。本当に地獄の1か月でした。アデノウイルス恐るべし!!みなさんも本当に気をつけてください。